高崎城跡
高崎駅から高崎神社と群馬護国神社に行く途中にある高崎城跡に少し寄り道。
小田原征伐の後、関東には徳川家康が入部した。家康の関東入部とともに箕輪城主となっていた井伊直政は、慶長2年(1597年)家康の命により、和田故城の城地に近世城郭を築いた。この地は中山道と三国街道の分岐点に当たる交通の要衝であり、その監視を行う城が必要とされた為である。翌、慶長3年(1598年)直政は箕輪城から築城中の高崎城に移った。直政は入城に際し、当地を「高崎」(箕輪城下に直政が創建した恵徳寺の開山龍山詠譚和尚の「松は枯れることがあるが、高さには限りがない」との進言により)と名付けたとされている。箕輪より町家や社寺を移して城下町を築いた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、直政は近江国佐和山城に移封となった。その後は、諏訪氏、酒井氏、戸田氏、松平(藤井)氏、安藤氏、松平(長沢・大河内)氏、間部氏、松平(長沢・大河内)氏と譜代大名が目まぐるしく入れ替わり、明治維新を迎えた。最後の藩主は輝声(てるな)である。 松平(長沢・大河内家)は歴代幕府要職に就くものが多かった。
元和5年(1619年)に入城した安藤重信は城の改修に着手した。以後、3代77年間をかけて大改修され近代城郭が整備された。 寛永10年(1633年)には、実兄である3代将軍徳川家光の命により、この城に幽閉されていた徳川忠長が当城で自裁した。
明治6年(1873年)廃城令により存城となり、第3師官官内分営所が置かれた。以後建造物は移築もしくは破却され、跡地の大半は歩兵第15連隊の駐屯地として使用された。
3代目将軍徳川家光の実弟の徳川忠長がここで自裁したのか。
石垣
東門
乾櫓
水堀
自分が見た感じだと、結構大きい城なのにそんなに残ってないなーと思いました。
拝島 日吉神社 藤の花限定御朱印
4月30日に藤の花の限定御朱印を頂きに参拝。1ヶ月前にも参拝したので拝殿等の写真は撮ってないです。拝島 日吉神社 桜限定御朱印 - 雷電疾風録
綺麗だな🌸
デジカメで左をぼかさずに中央をぼかすのは(自分の中では)難しいから綺麗に撮れててお気に入りの1枚。
この写真も上手くぼかせててお気に入り。インスタ映えしそう(適当)
御朱印にも藤の花が。d(⌒ー⌒) イイネ!
八王子 日枝神社
一の鳥居
割と新しい階段☺
桜がめちゃくちゃ綺麗🌸1番いい時期に来れたかも。
でも結構暑かった😅
手水舎
拝殿 とりあえず桜と一緒に撮ればいいと思ってるのがばればれだな。( ̄▽ ̄;)
御祭神は大山咋命(おおやまくいのかみ)
新選組副長の土方歳三や一番大隊長沖田総司が京の都に上る以前の血気盛んな頃、昼なお暗い山王さまの杜で大暴れしたくだりが、作家司馬遼太郎の不朽の名作『燃えよ剣』に詳細に描かれております。現在の社殿は、昭和五十年に氏子の方々のご浄財により造営され、厄除け・商売繁盛・合格祈願・病気平癒等広く崇めれております。(境内掲示より)
社務所で御朱印頂けると聞いていたけど… 社務所改装してる('_':)
神社にいた宮司さんぽい人に今御朱印は頂けないかと聞いたら快く御朱印を書いてくれました。忙しい中ありがとうございました。
あきる野 稲足神社
4月24日あきる野市にたまたま行く機会があったので前から気になってた稲足(いなたり)神社へ参拝してきました。二の鳥居をデジカメ📷で撮影したらSDカードの容量がいっぱいになってしまったので、スマホで撮影しました。なので少しサイズが縦長&画質が悪いです。😅
一の鳥居
二の鳥居
寛文9年(1670年)の創立。明治以前は東京都江東区亀戸の真言宗普門院の主管であったが明治元年亀戸香取神社の奉仕となりました。その後香取神社の一隅に在る末社的神社として歩んできましたが、香取神社社殿建て替えに伴い昭和63年4月に独立した神社としてこの地にご遷座をいたしました。以来崇敬神社 として地元の方のみならず、広く遠方からもお詣りにお越しいただいております。(公式HPより引用)
稲足神社は末社神社から独立した神社なんですね。
手水舎
野村専太郎・ます夫妻像
韋駄天尊神殿 新宿ワシントンホテル敷地内にある、新宿韋駄天尊を分神合祀されたもの。
本殿
御祭神は面足尊(おもだるのみこと)と
惶根尊(かしこねのみこと)
青梅 住吉神社
4月22日に参拝。
社号碑と一の鳥居
二の鳥居
結構急な階段。なまってる体にはこたえるな_(」∠ 、ン、)_
手洗舎
拝殿
立派な狛犬だな。
応安二年(一三六九)延命寺を開山した季竜が、創建と同時に季竜の故郷である摂津国の住吉明神をこの地に祀ったのが始まりと伝えられる。旧青梅村の総鎮守であり、祭神は上筒男命、中筒男命、底筒男命、神功皇后である。例祭は四月二十八日(江戸時代は三月二十七日、二十八日)、また、五月二、三日には十二台の山車巡行が行われている。変形春日造(背面入母屋造)の本殿は、正徳六年(一七一六)に建立され、棟札には泉州(大阪府南部)出身の大工名等も記載されており、上方建築の影響がみられる。また、拝殿・幣殿の再建は、文化七年から天保六年頃と推定され、江戸時代に立てられた本殿・幣殿・拝殿が一体として残り、たいへん貴重である。さらに境内地には、稲荷神社、八坂神社、大鳥神社をはじめ櫛笥大納言隆望卿女歌碑、小林天淵筆塚碑等があり、青梅宿の町人文化の高さを今も伝えている。
御朱印は
授与所じゃなく
社務所で頂けます。大きい神社じゃないのに結構人がいてびっくりしました。自分含めて6、7人位いて、しかも5人位の人が御朱印を頂いてました。
参拝を終え次の神社へ行こうとしていたところ、今日はそこそこ風が強く旗がものすごく煽られてて、ギイギイと不穏な音が結構聞こえて、少し怖かった(笑)
立川 熊野神社
立川諏訪神社に参拝した後、徒歩で立川モノレールへ向かい、高松駅で下車し、熊野神社に。
御神体は須佐之男命 伊邪那岐命 伊邪那美命
享保十一年八月一日、当初七軒の家の鎮守神として、旧立川基地内に創建された神社である。寛政十二年秋には、氏子数も二十三戸に増え、この人達により再建、明治六年十二月村社に列し、同四十年五月に神饌幣帛料供進の神社に指定、同四十一年五月改築、昭和二十年四月二十四日戦災により焼失、境内地も接収されたので、新境内地を買収着工、二十三年四月十五日完成したので鎮座祭を執行、三十一年九月十四日には、より大きい新社殿も完成したので、新たに熊野本宮大社より御分霊を勧請奉安した。四十三年十一月市道の新設に伴い、建造物の一切を当地に移転、五十一年八月鎮座に百五十年奉祝事業として境内を整備した。
一の鳥居
手水舎
二の鳥居
拝殿
社務所にて頂けます。所穂料は300円
八咫烏の印がいいですね。
拝島 日吉神社 桜限定御朱印
3月25日拝島の日吉神社に行ってきました。拝島駅から立川駅行きバスに乗り拝島大師前で下車。日吉神社は拝島大師の隣にあるので歩いてすぐです。
一の鳥居
二の鳥居
手水舎
拝殿と狛犬
拝殿
所穂料は500円で小さな御守りが付きます。3/24-4/14限定の桜御朱印
4/15からフジの花の限定御朱印が頂けるらしいのでまた行きたいな。
今年の期間限定御朱印の予定は以下の通りです。
— 日吉神社 (Hiyoshi Jinja) (@hiyoshi_jinja) March 23, 2018
3/24-4/14 桜の花御朱印
4/15-5/15 フジの花御朱印
6月 夏越の大祓の御朱印
9月 榊祭の御朱印
1番いい時期に来たんじゃないかと思うほど桜が咲き乱れていました😮✨
久しぶりにデジカメで上手くボカせた∠( `°∀°)/
このあと立川行きのバスに乗り 立川諏訪神社へ。