雷電疾風録

東の国は眠らない

中山家範館跡

甲府に行く前に中山家範館へ。

狭山駅から徒歩20分ぐらい。ホンダ埼玉西の向かい側の道を進むと住宅街の中にぽつんとあります。 中山家範についてWikipediaから引用

中山 家範(なかやま いえのり、天文17年(1548年) - 天正18年7月26日(1590年8月25日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。父は丹党加治氏一族の中山家勝。北条氏照の家臣。通称は勘解由左衛門、助六助。諱は吉範とも。子に中山照守常陸水戸藩附家老の中山信吉。

父家勝は武蔵飯能の豪族で、山内上杉氏の家臣だったが、のち後北条氏へ仕えた。主君氏照の元で勇戦し、その武名は関東一円に轟いた。

天正元年(1573年)、亡父家勝を弔うため、小庵であった武陽山能仁寺を菩提寺として建立した。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原攻めの折に八王子城へ篭城し、前田利家の助命を拒み、後北条家への節義を果たして討死にした。享年43。

鎌倉時代に中山氏によって建てられた居城。







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昔はもう少し堀があったらしいけど、住宅化が進んで埋められちゃったみたい。

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